TOP体験談 クレアビジョン

Fさん(40代男性、自営業、東京都)

自分のことをもっと知りたかった。日々いったいどこから来るのかわからない感情に揺さぶられ、高ぶり、どこにでもあるような風景に涙したり、幸福感に包まれたりする自分。

どうして自分は、いつもこんなちっぽけなことで腹を立てるのだろう?
どうして自分は、古いものや人の手の跡が感じられるものが好きなのだろう?
どうして自分は、休むまもなく動き回っていると安心するのだろう?
どうして自分は、「どうして自分は」といつも自分を探っているのだろう?

どこまでが自分がコントロールしている自分なのか。
もしかすると自分ではない何かが自分の中にいるのではないか。
そもそも、自分は自分のことを知ることができるのだろうか?
鏡を見ることでしか自分の顔を見ることができないように。
「からだ」と「こころ」がある。その先には「たましい」があるのだろうか。
もしかすると、その揺れ動く自分の理由を知ることは、「たましいに触れる」ということなのだろうか。

ISISを経験することは、自分や家族や自分を取りまく環境の奥底にあるもの、何かに触れるきっかけになりました。まだまだ入り口に立ったばかりですが、何十回かのISISを通して、自分の中に何重にも折り重なって存在する「たくさんの自分」「いろいろな時代に生きた自分」「さまざまな風景の中で生きていた自分」を感じることができました。それも圧倒的なリアリティを伴って。
それを過去生と呼ぶ人もいるでしょう。以前のぼくなら偶然に接したひとつの「過去生」にしがみついて、それが自分の存在の根拠だと信じ切っていたかもしれない。今現在のどうしようもない状況を、動かしようのない過去に根拠を求めていたかもしれない。いわば「過去生依存」ですね。
ISISで感じたのは、たくさんの層のようにして存在する自分でした。時間も空間も超えた場所で、さまざまな肉体や感情を経験している自分がいて、同時にいまこの肉体に宿る「自分」がいる。この肉体は過去から未来にむかって続くたくさんの「自分」の、一瞬の姿でしかないのかもしれません。そのたくさんの自分を感じる時、気が遠くなるような、安心するような、不思議な気持ちになります。
自分にとって「ほんとうにその過去生があったのか」は、すでに重要ではありません。それよりも、その風景や状況に身を置いてそこで感じたこと、そこで自分のいろいろな生き方の癖を見つけたことなど、今につながる発見ができたことがもっと大切です。その発見こそが、自分が自分の手でつかみ取った実感だから。
そして同時に、自分以外の人の中にも、同じように幾重にもかさなる時間や存在を感じるようになりました。感じるようになったというよりは、そのことを当然のこととして接するようになりました。
自分が何なのかを知りたくてはじめたISISでしたが、いったんその世界にふれた後には、逆にまわりの人にたいしてこころが開いていくのを感じています。人ってすごいな、魂はすごいな、と。そして、もっともっとたくさんのことに触れたい。そんな欲も出てきました。

竹内 清文さんの人生のストーリー

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